管理人とスロットについて書きたいと思います。
最初にスロットを打ったのは高校1年の秋の出来事でした。
Sという中学校時代からの友人に誘われて、
びくびくしながらパチンコ屋さんに入りました。
時刻までははっきり覚えていませんが、夜だったのを覚えています。
店名は今でもよく登場する「地元M店」です。
3Fのスロットコーナーまで階段で登り、
向かって左から2シマ目に座る友人S。
何を隠そうこの台こそが「大花火」だったのです。
自分は最初見てるだけのつもりでした。
しかし友人Sはわずか5分足らずで最初のBIGを当て、
メダルがじゃらじゃらと出てきます。
「これいくらくらいなの?」
「うーん10000円くらいかな」
驚愕でした。
わずか5分足らずで10000円ものお金が手に入るだなんて。
打ちたくなりました。
打ちました。
たどたどしくサンドにお金を入れる。
メダルを入れる。
レバーを叩く。
メダルを入れる。
レバーを叩く。
何もわからない間に4000円も負けました。
高校1年生にとって4000円がどれだけデカイ額か。
もう二度と打たないと心に決めました。
これが管理人とパチスロの最初の出会いです。
それから2,3日後。
また友人Sに誘われました。
口では「もう2度と行きたくない」と言っていましたが、
心の中では「リベンジしてやる」という気持ちでいっぱいでした。
再び地元M店の大花火を打ちます。
打ち始めること数十分、
右上のか~ぎや~ランプが光りました。
人生初BIGです。
友人Sに「ハズシは3連ドンちゃんを狙って」と言われました。
何とか3連ドンちゃんくらいならカタマリとして認識してたので見えることは見えましたが、
肝心の「ハズシ」が何を意味してるのかさっぱりわかりませんでした。
だってハズシをしたってメダルは出てこないんですもの。
「なんでわざわざメダルを減らすの?」
「いやそれやると逆に増えるんだよ」
「・・・」
その後バケが連荘し、
その日は8000円ほど勝ったのを覚えています。
人生が狂ったのはこの日だったのかもしれません。
管理人は何故か始めたころから目押しが得意で、
一回目に行ったときにすでに3連ドンちゃんをカタマリとして認識できました。
その後PS1の「アルゼ王国4」を兄から借りて、
大花火の左下段バー狙いの練習を積み重ねたところ、
なんとわずか一週間ほどでバーの視認に成功。
もちろん頭をカクカクしてリールを見るタイミング押しでしたが、
早くも小役回収打法を身に付けました。
しかしこの頃は「絵柄は狙えば揃うもの」と思ってやみませんでした。
収支的には負けはしないものの勝ちもしないといった感じで、
当時の手元にあった現金1万円をやりくりしながら打ったのを覚えています。
今みたいな収支表はつけていませんでしたが、
生涯収支が-10000円以下になったことがないというのも自慢の一つです。
そのころ良く打った台は大花火、ファウストの2機種。
パチスロを打ち始めて半年ほどたったある日、
夜中にテレ東系列のミニスカポリスという番組を見ていたときのこと。
スロプロ特集みたいな企画をやっていて、
そこに登場した人がなんと眼球揺らし≒直視をしているではありませんか。
「うわなんてキモいんだ」と思いましたが、
「もしかしたら俺も出来るかも」と思ってやってみたら・・・
出来ました。
なんとパチスロ始めて半年ほどで直視マスター。
しかしプレッシャーに極度に弱いという性格のため、
大花火のビタハズシはかなりミスってました。
完全に宝の持ち腐れです。
高校2年の4月から本格的に収支を付け始めました。
収支的にはやはり勝ったり負けたり。
高校2年の8月31日にダブルチャレンジという台で初の万枚達成。
12376枚。
後にも先にも万枚こえたのはこれ一回。
同時に8月の収支はなんと+650000円over。
zentpp少年は「完全にこれで食っていける」と思ったのでした。
しかし現実はそう甘くありません。
好調だった日が嘘のように負け続ける日が続きます。
年があけるころにはとうとうパチスロ貯金がほとんど底をつき、
ひいひい言いながら打つ日々が続きました。
それでもなんとか打ち続けるだけのお金はキープできました。
大学受験。
高校時代は部活とパチスロばっかやっていたので、
当然勉強は疎かになり受験失敗で見事に浪人決定。
受験発表の当日に初代猪木を打って9512枚出したのを覚えています。
その大学は落ちました。
浪人中は時間がたっぷりあります。
そこでかねてからの計画を実行に移すことに。
「本気でパチスロで食ってみよう」
という完全に頭のイカれた計画です。
もちろん親には予備校もちゃんと行って図書館で勉強してる体で。
結果。
ガッツリ稼動して半年ほどで収支は+100万ほどでした。
半年で100万ってことは・・・
年収200万くらいか・・・
これって普通に働いたほうが良かないか!?
と気を改め、
そこから一転真面目に勉強することに。
高校3年間の勉強をわずか浪人中の後半の半年足らずでこなし上げ、
なんとか大学に合格。
すべり止めのすべり止めでしたけど。
全て山ピーがいけないんだ。
大学入学。
この頃からパチスロ=バイトという感覚で打つことになります。
パチスロをバイトとしてとらえる考え方については、
だ~いぶ昔の日記に書いたのをコピペします。
パチスロを娯楽ととらえるか、
それとも一種の仕事としてとらえるか、は個人の自由によるものだが、
管理人の場合はどちらでもなく、
「バイト」としてとらえている。
バイトと仕事の決定的な違いは何かというと、
「すぐにやめられる」ということ。
極端な話、バイトは楽しくなかったり月給が悪ければ、
その場すぐやめられるだろうが、
仕事の場合はそうもいかないだろう。
楽しんで勝ってこそのパチスロ。
どちらかが欠ければ、その価値は自分にはないも同然である。
といった感じ。
そしてそのスタンスは今も変わらず、
稼動は年に100日程度、
目標年間収支は+800K~1000Kという感じでやってます。
・つまらない
・勝てない
どちらかを思う日がもしきたとすれば、
この楽しくて稼げるアルバイトをやめることになるでしょう。
それまではきっと続けます。
来年の4月に就職したとしてもたぶん続けます。
音がうるさくて空気が汚い職場環境で、
あるときは12時間を超える稼動もするハメになるけど、
バイト仲間も出来るし、
こんなに楽しいバイトはありません。
スロットをやってたおかげでたくさんの方々にも出会えました。
それが一番スロットをやってて良かったことかもしれません。
以上超長文乱文失礼しました。
次回からまた普通の稼動日記に戻します。
最初にスロットを打ったのは高校1年の秋の出来事でした。
Sという中学校時代からの友人に誘われて、
びくびくしながらパチンコ屋さんに入りました。
時刻までははっきり覚えていませんが、夜だったのを覚えています。
店名は今でもよく登場する「地元M店」です。
3Fのスロットコーナーまで階段で登り、
向かって左から2シマ目に座る友人S。
何を隠そうこの台こそが「大花火」だったのです。
自分は最初見てるだけのつもりでした。
しかし友人Sはわずか5分足らずで最初のBIGを当て、
メダルがじゃらじゃらと出てきます。
「これいくらくらいなの?」
「うーん10000円くらいかな」
驚愕でした。
わずか5分足らずで10000円ものお金が手に入るだなんて。
打ちたくなりました。
打ちました。
たどたどしくサンドにお金を入れる。
メダルを入れる。
レバーを叩く。
メダルを入れる。
レバーを叩く。
何もわからない間に4000円も負けました。
高校1年生にとって4000円がどれだけデカイ額か。
もう二度と打たないと心に決めました。
これが管理人とパチスロの最初の出会いです。
それから2,3日後。
また友人Sに誘われました。
口では「もう2度と行きたくない」と言っていましたが、
心の中では「リベンジしてやる」という気持ちでいっぱいでした。
再び地元M店の大花火を打ちます。
打ち始めること数十分、
右上のか~ぎや~ランプが光りました。
人生初BIGです。
友人Sに「ハズシは3連ドンちゃんを狙って」と言われました。
何とか3連ドンちゃんくらいならカタマリとして認識してたので見えることは見えましたが、
肝心の「ハズシ」が何を意味してるのかさっぱりわかりませんでした。
だってハズシをしたってメダルは出てこないんですもの。
「なんでわざわざメダルを減らすの?」
「いやそれやると逆に増えるんだよ」
「・・・」
その後バケが連荘し、
その日は8000円ほど勝ったのを覚えています。
人生が狂ったのはこの日だったのかもしれません。
管理人は何故か始めたころから目押しが得意で、
一回目に行ったときにすでに3連ドンちゃんをカタマリとして認識できました。
その後PS1の「アルゼ王国4」を兄から借りて、
大花火の左下段バー狙いの練習を積み重ねたところ、
なんとわずか一週間ほどでバーの視認に成功。
もちろん頭をカクカクしてリールを見るタイミング押しでしたが、
早くも小役回収打法を身に付けました。
しかしこの頃は「絵柄は狙えば揃うもの」と思ってやみませんでした。
収支的には負けはしないものの勝ちもしないといった感じで、
当時の手元にあった現金1万円をやりくりしながら打ったのを覚えています。
今みたいな収支表はつけていませんでしたが、
生涯収支が-10000円以下になったことがないというのも自慢の一つです。
そのころ良く打った台は大花火、ファウストの2機種。
パチスロを打ち始めて半年ほどたったある日、
夜中にテレ東系列のミニスカポリスという番組を見ていたときのこと。
スロプロ特集みたいな企画をやっていて、
そこに登場した人がなんと眼球揺らし≒直視をしているではありませんか。
「うわなんてキモいんだ」と思いましたが、
「もしかしたら俺も出来るかも」と思ってやってみたら・・・
出来ました。
なんとパチスロ始めて半年ほどで直視マスター。
しかしプレッシャーに極度に弱いという性格のため、
大花火のビタハズシはかなりミスってました。
完全に宝の持ち腐れです。
高校2年の4月から本格的に収支を付け始めました。
収支的にはやはり勝ったり負けたり。
高校2年の8月31日にダブルチャレンジという台で初の万枚達成。
12376枚。
後にも先にも万枚こえたのはこれ一回。
同時に8月の収支はなんと+650000円over。
zentpp少年は「完全にこれで食っていける」と思ったのでした。
しかし現実はそう甘くありません。
好調だった日が嘘のように負け続ける日が続きます。
年があけるころにはとうとうパチスロ貯金がほとんど底をつき、
ひいひい言いながら打つ日々が続きました。
それでもなんとか打ち続けるだけのお金はキープできました。
大学受験。
高校時代は部活とパチスロばっかやっていたので、
当然勉強は疎かになり受験失敗で見事に浪人決定。
受験発表の当日に初代猪木を打って9512枚出したのを覚えています。
その大学は落ちました。
浪人中は時間がたっぷりあります。
そこでかねてからの計画を実行に移すことに。
「本気でパチスロで食ってみよう」
という完全に頭のイカれた計画です。
もちろん親には予備校もちゃんと行って図書館で勉強してる体で。
結果。
ガッツリ稼動して半年ほどで収支は+100万ほどでした。
半年で100万ってことは・・・
年収200万くらいか・・・
これって普通に働いたほうが良かないか!?
と気を改め、
そこから一転真面目に勉強することに。
高校3年間の勉強をわずか浪人中の後半の半年足らずでこなし上げ、
なんとか大学に合格。
すべり止めのすべり止めでしたけど。
全て山ピーがいけないんだ。
大学入学。
この頃からパチスロ=バイトという感覚で打つことになります。
パチスロをバイトとしてとらえる考え方については、
だ~いぶ昔の日記に書いたのをコピペします。
パチスロを娯楽ととらえるか、
それとも一種の仕事としてとらえるか、は個人の自由によるものだが、
管理人の場合はどちらでもなく、
「バイト」としてとらえている。
バイトと仕事の決定的な違いは何かというと、
「すぐにやめられる」ということ。
極端な話、バイトは楽しくなかったり月給が悪ければ、
その場すぐやめられるだろうが、
仕事の場合はそうもいかないだろう。
楽しんで勝ってこそのパチスロ。
どちらかが欠ければ、その価値は自分にはないも同然である。
といった感じ。
そしてそのスタンスは今も変わらず、
稼動は年に100日程度、
目標年間収支は+800K~1000Kという感じでやってます。
・つまらない
・勝てない
どちらかを思う日がもしきたとすれば、
この楽しくて稼げるアルバイトをやめることになるでしょう。
それまではきっと続けます。
来年の4月に就職したとしてもたぶん続けます。
音がうるさくて空気が汚い職場環境で、
あるときは12時間を超える稼動もするハメになるけど、
バイト仲間も出来るし、
こんなに楽しいバイトはありません。
スロットをやってたおかげでたくさんの方々にも出会えました。
それが一番スロットをやってて良かったことかもしれません。
以上超長文乱文失礼しました。
次回からまた普通の稼動日記に戻します。
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この記事にコメントする
- 無題
時間を忘れて読み耽ってしまいました。非常に面白かったです。こうしてzentppさんという名の人間は形成されたんですね。大花火か…REG中とかはバシバシハズせるのに、BIG中3回目のJAC IN時ときたら…プレッシャーは計り知れません
- 無題
自分は北斗から始めた北斗世代なので、大花火とかは打ったことないですね。
自分が打ってたころは花火百景しかありませんでした。
初めてメダルを流す時パチンコの島に流そうとして、間一髪のところで店員に止められた記憶がありますw
五号機になってからは自分も出目による楽しみが分かってきました。
ゴルゴなんかが最初ですね。
四号機みたいな爆発力はなくなったけど、五号機も熱い所はたくさんあるし、自分はこれからも楽しく打っていけそうです。
自分が打ってたころは花火百景しかありませんでした。
初めてメダルを流す時パチンコの島に流そうとして、間一髪のところで店員に止められた記憶がありますw
五号機になってからは自分も出目による楽しみが分かってきました。
ゴルゴなんかが最初ですね。
四号機みたいな爆発力はなくなったけど、五号機も熱い所はたくさんあるし、自分はこれからも楽しく打っていけそうです。
- 無題
そんな感じの始まりでしたっけ(^^;)完全に忘れていました。
自分が始めて打ったのはサンダーVです。完全に未成年でしたが、地元M店からは何も注意されませんでした。これからボッタ店と化しても地元M店主体の立ち回りは変わらない・・・でしょうね。
自分が始めて打ったのはサンダーVです。完全に未成年でしたが、地元M店からは何も注意されませんでした。これからボッタ店と化しても地元M店主体の立ち回りは変わらない・・・でしょうね。
- 無題
初めて打ったのはちょうど二年前の高校3年の夏休み
二つ下の後輩に誘われて明らかに裏物のハナハナ打ちましたw
高校生故に軍資金も少ないのでハネ物メインに打ち始め釘を見れるようになろうとしていろんなサイトを探してる内ににゃんぶらーにたどり着きそこでzentppさんのスロ日記を拝見するようになった訳です(笑)
そういえば青ドンの演出無し平行氷ガセったw
二つ下の後輩に誘われて明らかに裏物のハナハナ打ちましたw
高校生故に軍資金も少ないのでハネ物メインに打ち始め釘を見れるようになろうとしていろんなサイトを探してる内ににゃんぶらーにたどり着きそこでzentppさんのスロ日記を拝見するようになった訳です(笑)
そういえば青ドンの演出無し平行氷ガセったw
- 無題
>>名探偵バーローさん
いやはやお恥ずかしい><
大花火のBIG中3回目のJACハズシのドキドキ感は他の機種では味わえませんよねw
最大で一押し6000円の損ですからw
>>ロンドンさん
フリッパーって今でもプレミア演出でたまに出るあのイルカの台のことですよね!
最近MAXで1000枚入らないくらいのドル箱見たんですが、
あれは箱としての意味があるんでしょうか^^;
>>あかきさん
ジェネレーションギャップがw
あれでもあかきさんと2歳しか離れてない気がするんですが・・・
やはりパチスロは18歳になってからですよねw
>>友人S
そういえば地元M店で年齢制限にひっかかったことないですね。
チンピラにからまれたこともないし・・・
変な常連はたくさんいるけどねw
>>Ainさん
いきなり裏ハナハナからですか!
よくパチスロがトラウマになりませんでしたねw
>青ドン
なんてこった(;´Д`)
通常時結構オヤジ打ちだったんですが、悔い改めることにしますw
いやはやお恥ずかしい><
大花火のBIG中3回目のJACハズシのドキドキ感は他の機種では味わえませんよねw
最大で一押し6000円の損ですからw
>>ロンドンさん
フリッパーって今でもプレミア演出でたまに出るあのイルカの台のことですよね!
最近MAXで1000枚入らないくらいのドル箱見たんですが、
あれは箱としての意味があるんでしょうか^^;
>>あかきさん
ジェネレーションギャップがw
あれでもあかきさんと2歳しか離れてない気がするんですが・・・
やはりパチスロは18歳になってからですよねw
>>友人S
そういえば地元M店で年齢制限にひっかかったことないですね。
チンピラにからまれたこともないし・・・
変な常連はたくさんいるけどねw
>>Ainさん
いきなり裏ハナハナからですか!
よくパチスロがトラウマになりませんでしたねw
>青ドン
なんてこった(;´Д`)
通常時結構オヤジ打ちだったんですが、悔い改めることにしますw
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適当にまったりと雑談してます
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